普通の主婦の裏ブログ

仕事のこと、お金のこと、生活のこと、誰にも言えないこと。

祖母の介護の話

私の祖父母と私の親は一緒に暮らした時期が数年と、とても短かったと聞いています。

戦中戦後のどさくさで、そんなおうちはたくさんあったのでしょう。


私が小学生のときに、私達は祖父母と暮らし始めました。父親は単身赴任です。


母はすぐに仕事を見つけ、家のことは祖母がやっていました。

兄姉は中学生だったので、学校のことや友達のこと、大変だったと思います。

でも特に姉は、都会からきた転校生としてうまくやっていました。

私は田舎暮らしを楽しみ、祖父母の畑仕事や料理を手伝いました。多分、祖父母といちばん長い時間を過ごした家族は私です。

祖父母は私のことをとても可愛がってくれました。賢くて優しいと言ってくれました。

祖母は女学校の頃の思出話をしてくれました。

教会の天井に絵を描いたこと、百合や鈴蘭の話。


私が小学校高学年になるころ、祖母の様子がかわってきました。

鍋やヤカンなどの同じものを何度も買ってきたり、食事を作るのを忘れていたりしました。

困ったなと思いながら、祖父が品物を返品しにいったり、私がご飯を作ったりしながら毎日を過ごしていました。


他の家族はみんな忙しかったのです。


ある日、祖父がガンで入院することになりました。祖母は祖父に付き添いましたが、祖父は祖母のことを庇えなくなってきました。


祖母のおかしさに、皆が気づくことになりました。


当時は認知症ではなく、ボケと言われました。


私は気付いていたのに、後からみんなが知ったことで大変なことになってしまった。と、自分を責めました。


私が小学校5年か6年のときに、祖父が亡くなりました。

祖母が家に帰ってきてみると、状況は大変悪くなりました。

祖母はトイレも難しく、徘徊もありました。

母は祖母の介護のために仕事を辞めましたが、介護の仕方を知らなかったと思います。


家に帰ると壁に便が塗りたくられていたり、早朝裸で歩く祖母が保護されたりしました。

祖母を介護施設にいれようとしましたが、血の繋がりのある親戚がそれを許しませんでした。


当時は制度も整っていなかったのかもしれません。

祖母はよく怒られていました。

私は怖かったし、悲しかったし、辛かった。


とうとう親戚が祖母を引き取ったけれど、1日目でギブアップし、祖母が介護施設に入ることが決まりました。


最初の施設では祖母のような人は一日中拘束されていました。時代のせいだと思います。

すぐに別の施設を探し、やっと安心できる施設が見つかった頃には祖母は、ほとんど反応もなく、お人形のようになってしまっていました。